日本の大学

 

大学改革が言われて久しいが、そしてもちろん改革は必要なのであるが、いろいろな問題はキャリア教育の充実によって、解決できると思うし、留学から帰ったら、そうした活動に少し関わってみたい。

 

まずよく言われるのが、入試制度の弊害であるが、これに対する批判は本当にしょうもないものであると思う。筆記試験であれ、面接であれ、AO入試であれ、一定の形である以上、対策は可能である以上、筆記試験だから一定の人間しかとれないとかそんなことはない。

ある大学に行きたいとおもうのであれば、その大学に通るための対策をすればいいだけのこと。そしてその選抜として、べんきょうを持ち出すのは割とフェアであるようなきがする。

 

後は日本の大学の、授業をしない放置主義であるが、これは一定程度是正すべき。少なくとも、さらなる学びのゲートウェイとして、文献を示す、相談に乗るといったことを、もっと日本の教授陣はオープンにやるべきだとは思う。これがないのは、一つには縁故主義採用が背景にあるのではとも思う。

 

さて、大学というものをどういう役割としてみるかというと、

教授達が研究をし、一方で彼らは次世代のアカデミア/労働力の再生産を担っていて、学生はそのどちらかに対して有益である力を身につけるように求められているので、まあざっくりと研究/再生産といって差し支えないと思われる。

すると、じゃあその目的のために学生は何が必要?と言われると、決して勉強をする!だけではないように思われるのである。授業のウェイトが軽く、その他の社会貢献事業に取り組めるのであれば、その方が再生産として効率的なのかもしれない。それは結局、職業によるだろうし、統計的にどう、とか因果関係がどうと言える話ではない。

人それぞれの特性があって、その人間が自分にあった成長のプロセスをふむことができれば、それが1番いいのである。

日本の大学の良いところは、自由になんでもできるところであり、言わば個人が自分の特性にあった選択肢を好きに選べるところなのである。個人が自身の能力とやりたいことと、それにあった選択肢をえらぶことができる知識を持っていれば、日本の大学ほどいい環境はないのではないか。

 

つまり求められているのは、単純に勉強をさせる、というシステム作りではなく、学生各々が、自分のこと、社会のこと、を理解し、自覚的に自身の道を選択できるようにするキャリア教育なのである。これはもう早ければ早いほどいいだろうと思う。